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「大川周明世界宗教思想史論集」その他大川周明をめぐる読書メモ

f:id:nobirunoji:20210627235204j:plain気が付けば6月末…
しばらく更新しておりませんがブログを書くのに飽きたわけではありませんよ。
みなさま引っ越しとか人事異動とか転職とかあってなかなか読書会ができていないんです。
ただ個人的には孤独にコツコツ読書しているので、たまには読書会と関係なく読んだ本についてもちょちょっと書いてみようと思います。

 

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1.
大川周明に興味がある、と言うとあまり好意的でない反応をされそうだ。
(その前に「誰それ?」という顔をされそうだが)

 

大川周明1886年-1957年)とは ―
アジア主義の思想家として大日本帝国のアジア侵略を正当化し、また対米開戦をも扇動したとして、同盟国からは「日本のゲッベルス」とも評された、民間人で唯一のA級戦犯
東京裁判にパジャマで出廷して東条英機の頭を叩くなどの奇妙な行動をとったことで精神異常と診断され、免訴に。
戦前から軍部や右翼団体と深く関わっており、五・一五事件では青年将校らに資金提供したとして検挙されている。

 

こう書くとヤバい人物にしか思えないのだが、一方でイスラム研究者としてコーランを翻訳したり、日本に亡命してきたインド独立運動の指導者を支援したりと、単なる国粋主義者ではない一面も見えてくる。
そんなよく分からない人物像に興味を抱き、これまで大川自身の著作や伝記の類を数年かけてぼちぼち読んできた。…アブナイ人と思われたくないので誰にも話したことはないけど。
つい最近も新たに一冊読んだのだが、これで5,6冊目になるだろうか。
飽きっぽい自分にしては珍しく10年以上持続して読み続けているテーマになるので、この機会にいままでの読書内容を振り返ってみたい。

 

2.
私がこれまで読んだ大川周明関連の本を時系列に整理してみよう。

 

中村屋のボース中島岳志 著、白水社、2005年)
インド独立運動を指導するも祖国を追われ、インド独立を見ぬまま亡命先の日本で客死、そして新宿中村屋インドカレーを伝えたR.B.ボースの伝記。
なぜこの本を読んだのかは忘れたが、少なくとも大川周明がきっかけではない。というかこれがきっかけで大川に興味を持ったような気がする。

 

古蘭 文語訳大川周明 訳、書肆心水、2010年)
大川が訳したコーランの文語訳。
東京裁判から移送された精神病院への入院中に訳したもので、もとの出版は1950年。
アラビア語からの翻訳ではなく英語やドイツ語等の訳を参考にした重訳とのこと。
岩波文庫井筒俊彦訳を読んだ後に本書の存在を知り、そういえば大川周明って①の本に出てきたなと思ってコーランそのものより翻訳者への興味から読んだ。
とりあえずコーランを読みたいという方には岩波文庫版をお勧めするが、一味違った文語訳に興味があれば一度お試しあれ。高いけど。

 

日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く佐藤優 著、小学館、2011年)
日本軍の真珠湾攻撃後に大川が戦意高揚のためラジオで連続講演した「米英東亜侵略史」の全文に佐藤優が解説を加筆したもの。
上記②を読んだことで次は大川本人による文章を読みたくなったものの、どれも高価なハードカバーで大型書店じゃないと売っていなかったので、文庫で手に入りやすかった本書を購入した。
佐藤優による解説も丁寧だが、元がラジオ講演のためか大川の文章だけでも十分に理解できるほど明瞭な内容である。

 

大川周明と狂気の残影―アメリカ人従軍精神科医とアジア主義者の軌跡と邂逅(エリック・ヤッフェ 著、樋口武志 訳、明石書店、2015年)
東京裁判で大川を診察した精神科医ダニエル・ヤッフェの孫が、大川とヤッフェ両者の記録を辿りながら「大川の精神異常は本当だったのか、それとも刑を免れるための詐病だったのか」というミステリーに迫る本書。
アメリカ人、それも関係者の親族から見た大川周明というこれまでになかったアプローチの研究である(きっと今後もないだろう)。

 

大川周明 アジア独立の夢―志を継いだ青年たちの物語(玉居子精宏 著、平凡社、2012年)
昭和13年大川周明を所長とする私塾「東亜経済調査局附属研究所」が設立された。その卒業生たちは東南アジア各地に渡り、各国の独立運動や日本軍のための現地工作を進めることになった。高齢の卒業生らへの聞き取りから、忘れられた日本とアジアの歴史を掘り起こす一冊。
思想家や活動家でなく教育者としての大川にスポットを当てており、また関係者が存命しているおそらく最後のタイミングに調査が行われた、これも貴重な記録だ。

 

3.
そしてこのたび読んだ一冊がこれ(トップ画像)。

 ⑥大川周明世界宗教思想史論集大川周明 著、書肆心水、2012年)
これは書籍としては成り立ちが特殊で、それぞれ異なる時期に書かれた複数の原稿を再編成して一冊にまとめたものになる。
全2部から構成されるうち、第1部は
1921年刊行の「宗教原理講話」
・その訂正増補版として書かれた遺稿の宗教論
の二つから重複分を除外するなどして編成されており、第2部は
・1930年刊行の「大思想エンサイクロペヂア」第8巻に収録された「インド思想概説」
の全文となっている。

 

なぜ大川周明の著作の中でもそんなマイナーな本を読む気になったかというと、全編にわたって大川の筆がノッているからだ。
その振れ幅の大きい生涯のせいで忘れそうになるが、もともと大川は東京帝国大学で宗教学を修めた専門家である。
その大川が世界中の主だった宗教思想について執筆したのだから、そりゃ筆もノるだろう。
山中伸弥教授がiPS細胞についての入門書を書くようなものだ(え、違う?)

 

例えばバビロン捕囚について書かれた箇所を引用しよう。

預言者の警告が痛ましき事実となりて、イスラエル人の頭には、峻烈なる神の笞が加えられた。自らエホヴァの寵民を以て矜れるイスラエル南北両朝のうち、北方イスラエル王国は、西紀前七二二年アッシリアサルゴンの為に亡ぼされ、南方ユダヤ王国は、西紀前五八六年バビロン王ネブカドネザルのために征服された。勝誇れるバビロン軍は、見る影もなくエホヴァの神殿を毀ち、飽き足るまでエホヴァの選民を屠り、その肉を天の鳥・地の獣の餌食に与え、その血を河の如くエルサレムの周りに流した。而して生残れる人々を、無残にも敗残の聖都よりり立て、ことごとくこれをユーフラテス河畔に拉し去った。これ即ち名高きバビロン虜囚である。(p63)

世界史の教科書なら2,3行の無味乾燥な説明で終わりそうなところも大川にかかればこの盛りっぷりである。
全編この調子で、先史時代の原始的な自然崇拝がユーラシア大陸においては教祖・教義・教団の三要素を備えることで宗教に発展し、西ではゾロアスター教ユダヤ教が、南ではバラモン教が、東では儒教が生まれ、さらにそれらが硬直化してくると原点回帰の声が興り、ユダヤ教に対してはキリストが、バラモン教に対しては仏陀が説いた教えがそれぞれキリスト教と仏教として継承され…と解説が続いていく。

 

こうして読者はノリにノッた文体を味わいながら大川流の世界宗教思想史を追うことになるのだが、時代が進み現代インドが舞台になる第2部後半に至って、そのテキストの性格が学者による講義から同時代のルポルタージュに変容したことに気付く。
当代インドの宗教活動家たちの思想を紹介するという点では趣旨は変わらないのだが、それらの思想が植民地支配からの独立運動の核となっていることに触れ、最後には、インド独立のあかつきには彼の地から西欧文化と異なる新たな文明が生まれることへの期待が語られる。
終盤から2か所引用してみよう。

一般民衆に至りては、かくの如き政治問題に対して、概ね無智なるか然らずば風する馬牛であった。然るに今日を見よ、英国の庇護の下に立つ藩王、英国政府の官吏、及び現在に於て富貴と栄誉とを享有する一部の階級が現状維持を念とする以外、インド人の殆ど全部が一斉に英国統治の根本的排斥を理想とし、既にその魂に於いてこれを実現しつつある。(p249)

 世界は長く文化とは西欧文化のことと迷信して居た。而も世界戦及び世界戦後の歴史的進行は、遂に西欧文化の破産を招いた。かかる時に際して、インド精神の復活は、実に二重の意味に於て偉大なる世界的意義を有する。第一は外面的に、その政治的独立が、ただにインドに於てのみならず、禍悪を世界に蒔くイギリスから、一挙にして強国の地位を奪い去るべきことである。第二は、内面的に、その精神的独立が、インド本来の精神に根ざせる新文明の創造によって、人類向上の為にめでたき貢献をなすべきことである。(p254)

 

4.
本書を読み、大川とは学者ではいられない気質の持ち主であったことをつくづく感じた。
上に引用した文章だって「大思想エンサイクロペヂア」に寄せたもののはずなのだが、まるでインド独立運動の最前線を伝えるドキュメンタリーであるかのような熱気がこもっている。
そんな人物ゆえに激動の時代にあって書斎に籠ることをよしとするわけがなく、自ら歴史の渦中に飛び込まずにはいられなかったのだろう。
だからインド人活動家が亡命して来たら自宅に匿うし(前掲書①)、アメリカとの戦争が始まれば日本の使命をラジオで喧伝するし(前掲書③)、青年たちに希望を託してアジア各地に送り込んだ(前掲書⑤)。

こうした大川の思想と行動を現代の視点から肯定的に評価することは難しい。
東京裁判免訴されたとはいえ、長期にわたり日本の帝国主義のイデオローグの役割を果たしたことは事実だからだ。
けれど、現代ですら日本人にとって海外といえば欧米と東アジアでありインドやアラビアなどはるか遠い存在であるのに、戦前からそれらの地域を見すえ広くアジアの連帯を訴えていた大川である。
その視野の広さ、先見性を部分的にでも評価することはできないものだろうか?

 

5.
そんな風に考えていたところ、まったく予期しない書籍で大川の名前を見る機会があった。

大江健三郎賞8年の軌跡「文学の言葉」を恢復させる大江健三郎 著、講談社、2018年)

大江自身が選考委員を務める文学賞大江健三郎賞」。
その歴代受賞者との対談をまとめたのが本書だが、第3回受賞作「光の曼陀羅 日本文学論」の著者・安藤礼二との対談で大江は次のとおり大川に言及する。

私は、アジアの神秘思想というものがあって、それがヨーロッパの神秘思想とも通じるという意見、日本の神秘思想といわないで、アジア全体の神秘思想としてとらえなければいけないという意見に賛成です。ところが、戦争の末期に至る一九四〇年代、大東亜共栄圏思想というものがありました。大東亜、広い意味でのアジアの人たちが現実世界で共闘してやっていく。具体的にそういう政治体制もつくる。アメリカという大きな国があるように、アジアにも大きい統一された国をつくろうというようなことを考えて、神秘思想だったものを現実の政治的な世界の言葉と重ね合わせた人たちです。その中心的な一人が大川周明でした。井筒俊彦ともおおいに通いあったらしい、と安藤さんの本で教わりました。
そして私は、今、大川周明をその神秘思想に限って評価し直すということについては、気を付けなければいけないと考えています。
kindle版のためページ数不明)

これを受けて「光の曼陀羅」の主役である折口信夫を引き合いに安藤はこう返す。

今おっしゃられたことは大変重要であると思います。折口信夫という人は明らかに二面性を持っていると思うんです。(中略)戦争中の短歌を見ると、やはり強烈に右翼的な歌もあるし、逆にその天皇論を考えてみると、万世一系を明確に否定し、女帝の即位を歓迎している。つまり天皇制を破壊するための最も有効な方法があるとしたら、それは折口の方法です。
そういった意味で、極右的な部分と極左的な部分の両極端を一人の人間の中で複雑に同居させている。光と闇を等分に持っている人で、私は折口を研究することで、人間というのはその人の持つ複雑さと深さがそのまま表現の複雑さと深さにもつながるのではないかと考えるに至りました。だから、折口を一義的に断罪するのではなく、またその反対に一義的に賛美するのでもなく、複雑さを複雑さのまま理解し、それを自分の前に出現した最強にして最大の他者として、折口に抗いながら自らの表現を鍛え上げていかなければならないと考えました。その作業はまだ終わっていません。おそらく私の生涯の課題になると思います。kindle版のためページ数不明)

 

これを読んでなるほどと思った。
複雑さを複雑さのまま理解すること。
それを自分の前に出現した最強にして最大の他者として抗うこと。
この「他者」が、私にとっては大川周明なのかもしれない。

複雑な物事を単純化したり一部を都合よく抜き出したりしてしまいたい誘惑を振り切り、その複雑さをまるごと受け止めて自分の頭で考える。
そういう人間に私はなりたいから、これからも大川周明に関する読書はぼちぼち続けようと思う。