洋書を読む読書会

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読書メモ:ウィリアム・ギャディス『JR』



はい、1年近くブログをほったらかしてしまいました。

かっこ悪いですが言い訳をしますと

・去年の夏に読書会のレギュラーメンバーであるAさんちに赤ちゃんが生まれたので数か月だけ読書会をお休みにしようとする

・そうしたら去年の秋に私自身が結婚することになり、秋から冬にかけて入籍→引っ越しと慌ただしく過ごす

・引っ越しが終わりやっと一息ついたと思ったら仕事の都合で私だけ引っ越すことになり、新婚なのに週末婚になる

という怒涛の展開があったためです。
これはブログを放置していても仕方ないね(白目)

 

ですので洋書どころか和書もあんまり読んでいなかったのですが、何を思ったか入籍の直前くらいからウィリアム・ギャディスの『JR』を再読していたので(もともと2018年の発売直後にすぐ買って一度は読んでいた)、久しぶりのブログ更新としてその感想文でも書くことにします。

なお、同じころに配偶者からオーウェルの『一九八四年』を借りており、2作を並行して読んだところ新しい発見があったため、その感想となります。
わりとがっつり2作のネタバレをしているので、これからどちらかでも読もうとしている方は注意してください。

 

☆☆☆

 

まず次の3つの文章を読み比べてほしい。

①演壇の上でお馴染みの決まり文句(...)を機械的に繰り返している退屈な話し手を見ていると、しばしば生きた人間ではなく、ある種の人形を見ているような不思議な気持ちにとらわれる。光線の具合で話し手の眼鏡が反射し、後に目を持たない空っぽの円盤のように見える瞬間に、その気持ちはより一層強くなる。 

②座っている向きのせいでめがねが光を反射しているため、ウィンストンには目の代わりに空白の円盤が二つ見えるだけ。

③太陽の光が眼鏡のレンズに正面から当たり、うつろな反射でレンズの背後の生命は搔き消されたが(...)

①はジョージ・オーウェルのエッセイ『政治と英語』(こちらから日本語訳が読める)、②は同じくオーウェルの小説『一九八四年』(ハヤカワ文庫、高橋和久訳、84ページ)、③は『JR』(国書刊行会、木原義彦訳、39ページ)から引用したものだ。
発表された年は①が1946年、②が1949年、③が1975年である。
①のエッセイにある、光の反射が眼鏡を円盤のように見せるとき背後の生命が消えたように感じられるという比喩が、②と③では小説の中に落とし込まれている。

『JR』には過去の文学作品からの引用が数えきれないほどあるが、③もまた、オーウェルが二度も使ったお気に入りの表現を意識しているのだろう。

ついでにいうと『JR』133ページの

話は既にくそややこしいことになっとる、左翼マスコミが二足す二を五にして報道しやがった(...)

という箇所も『一九八四年』を参照していると思われる。
(『一九八四年』において、後述する「二重思考」を象徴する2+2=5という矛盾した計算式は随所に現れる)

 

『JR』は邦訳で二段組892ページにも及ぶ大作であり、その形式も内容も非常に個性的でさまざまな切り口から紹介できそうなのだが、今回はたまたまオーウェル作品と並行して読んだということもあり、オーウェルからの影響を意識しながら読んで気づいたことについてまとめたい。

 

☆☆☆

 

『JR』はほとんどが会話文から構成されている小説だ。

場面転換を示す情景描写や人物の仕草を表す文章はときおり挟まれるものの、基本的にはそこに誰がいて発言しているのか説明されないままの会話が、ときどき挟まるラジオやテレビの音声も交えながら切れ目なく続く。

それなのに会話の内容は、1970年代前半のニューヨークを舞台に、ある一族が所有する会社の株の相続問題、地元中学校で起こる助成金ストライキ等を巡るトラブル、金銭問題や家庭問題で創作に集中できない芸術家たちの苦悩、そして、11歳の少年であるJRが音楽教師のエドワード・バストをこき使いながら企業買収を繰り返してJR社を拡大していく模様など、主にお金を巡る複数のプロットを反映した複雑なものになっている。

したがって読者は、発言内容や口癖からこのセリフは誰が誰に向かって発しているのかを推測しながら各プロットがどう展開しているのか読み解いていく必要がある。

こう書くと難解な小説のようだが、一人一人の性格や発言は一貫しているので主要人物の行動原理だけでも把握してしまえば筋は追いやすくなる…と思う。

その行動原理というのは大まかにいって二つに分けられる。
一方はJRのように金儲けを追求するグループ、もう一方は音楽家であるエドワード・バストのように芸術などお金以外の価値を追求するグループだ。
本作の見どころは前者に属する人々が動き回って物語を展開させていく中でこぼれるブラックユーモアだろう。

それから、あなたがこっちへ転送してくれた連邦取引委員会からの手紙の件。X-L社が木から作ったマッチが簡単に折れて危険だという苦情が出ているという話?オーケー、いいですか、その路線で宣伝をするようにムーニーハムに伝えてください、安全性に配慮して折れやすい新設計にしたことにするんです、森でタバコを吸うときとかに……いえ、はい、そうですね、値上げをしましょう、ていうか、新たに改良を加えたわけだから当然でしょう……?(580ページ)

オーウェルの『政治と英語』では決まり文句で飾り立てた悪文が政治を腐敗させるとしていたが、『JR』ではその稚拙なパロディのように、うわべを取り繕っただけの広告文が粗悪品を市場に広めていく。

心にもないきれいごとを言いながら実は金儲けのことしか考えていない彼らの姿は、ほとんどが会話文のため登場人物の内面は分からないという文体上の仕掛けもあいまって、オーウェルのいう「光の反射で円盤のように見える眼鏡」の背後で人間らしさを失ってしまったような奇妙な存在に映る。

 

☆☆☆

 

しかしもう一方のグループ、お金以外の価値を求めて行動する人々も、ある意味でオーウェル的な状況に陥っている。

例えば作者ギャディスの分身と思しき作家志望のジャック・ギブズ。
長年取り組んでいる作品の執筆がなかなか進まず苛立つギブズに向かって、二回りほど年の若いローダがこう語りかける。

——あたし、友達にはモデルになるって宣言して、学校を出た後、すごく頑張って、花嫁学校みたいなところで化粧とか何とかを習ったんだけど、何回ヴォーグを買っても全然載ってないってみんなが怒ったんだよね、あたしってやっぱゼロみたいって。(...)で、結局、考えてみたら、モデルになろうと頑張ってる間ずっと、あたしはなりたい、なりたいっていつも言ってたモデルってものを憎んでたわけ、分かる?(...)てか、結局、今の自分でいいんだって気づいた、で、いつもなりたいなりたいって言ってたモデルのことはやっぱ大嫌いなんだって分かった。てか、あたしは頑張ってるつもりだったけど、頑張る分だけ本当の自分が嫌いになった、分かる?(750-751ページ)

これまでひたすら自由奔放に振る舞ってきたローダが突然内省的になって語るこのセリフによって、彼女は、モデルに憧れながら同時に憎んでもいた自分と同じように、ギブズも本当は執筆という行為を憎んでいるのだと示唆する。

もっともギブズにも自分で自分を騙しているという自覚はあるのだが。

——ああ、畜生、エイミー、どうせ俺は何をやっても駄目さ、そもそもやる値打ちのないことばかりなんだから、それか、やる値打ちはあるんだって、せめてそれが終わるまでの間信じようと努力はしてるんだ……(606ページ)

 

また、似たような心理状態にあるがその自覚があまりない例として、JRが通う学校の教育委員をしているハイド少佐がいる。
愛国者の少佐は核戦争に備えて自宅に設置したシェルターが自慢なのだが、その時代遅れの愛国バカっぷりを周囲にからかわれてしまう。

——ああ、見てるがいい、見てるがいいさ、いざとなったら同じ奴らがわれ先にとうちのシェルターに飛び込んでくるに決まってるんだ、見てるがいい……
——自分は歴史に置いて行かれたって感じたことはないのかな、少佐?
——置いて行かれた、歴史に置いて行かれたってどういう意味だ……
——君の大好きな民間防衛とかいう考え方はフラフープの流行と一緒にどこかに行ってしまった、核シェルターのブームも終わったんじゃないかと考えたことはない?(569ページ)

図星だったのか、このあと少佐は大いに取り乱すことになる。
自分でもうすうす感じていたが見ないふりをしていた事実、自分の愛国心が周囲から認められるどころか疎んじられているという事実をずばり言い当てられたからだろう。

 

本心を抑圧するギブズやハイド少佐の姿は『一九八四年』の「二重思考ダブルシンク)」を髣髴とさせる。

二重思考とは、「ふたつの相矛盾する信念を心に同時に抱き、その両方を受け入れる能力」をもって「故意にうそを吐きながら、しかしその嘘を心から信じていること、都合が悪くなった事実はすべて忘れること、その後で、それが再び必要となった場合には、必要な間だけ、忘却の中から呼び戻す」行為だ(ハヤカワ文庫『一九八四年』328-329ページ)。

その文庫解説でトマス・ピンチョンが書くとおり、「これは取り立てて目新しいことではない。我々みなが行っていることだ。社会心理学の分野では、“認知的不協和”として古くから知られていた」(同書488ページ)。

もっとも「F・スコット・フィッツジェラルドを筆頭に、<二重思考>を天才の証明であると考えた人もいる」ともピンチョンは指摘する。
『JR』の作者と同姓のアメリカ人歴史家ジョン・ルイス・ギャディスも、著書『大戦略論』の中で同じようなことを主張していた。

 

それではもう一人のギャディス、ウィリアム・ギャディスはどうだろうか。
二重思考オーウェルやピンチョンがいうように認知的不協和として人の心を蝕むものだろうか、それともフィッツジェラルドジョン・ルイス・ギャディスがいうように天才の証明だろうか?

おそらく『JR』の作者はどちらにもなると考えている。
JRのように他人を騙すため二重思考を使いこなす者は成功するし、ハイド少佐のように二重思考で自らを偽る者は破滅していく。

そして、ほとんどが会話文のため登場人物の内面は分からないという文体上の仕掛けがここでも作用し、彼ら彼女らが心に抱える空虚や矛盾は直接的に説明されないことでかえって強い印象を残す。

丁寧な心理描写を売りにする小説は多いが、二重思考に陥った人物の心理に入り込んだところで己の行動を正当化する言い訳だけが語られることになるだろう。
むしろ観察に徹することではっきりと見えてくるものがある。

『一九八四年』でも、二重思考の「完全無欠の体現者」(byピンチョン)として登場するオブライエンは主人公の目を通して描写されるだけだったが、その心のうちが語られないことが逆に彼の不気味さを際立たせていた。
もしオブライエンやJRの心理描写なんてものが作中にあったらその異様なキャラクターの衝撃は弱まっていただろう。

 

☆☆☆

 

そんなわけで『JR』の語り手は物語に介入せずに観察に徹するだけだから、何か教訓のようなものを語ってくれることはない。
それでも最後には、二重思考に陥りそうな現代人にはいくつかの対処方法があることを、登場人物の行動によって示してくれる。

私が気づいたところでは3つパターンがあるように思われるので、順に見ていこう。

 

1.自分を変える

僕はあなたがおっしゃってたことを思い出して、やる値打ちの無いことはたくさんあるなあと考えてました、そして突然、何もやらないことにしたらどうだろうって思ったんです。僕はずっとそれを恐れていた、僕はずっと、自分が作らなければならない曲があると信じていたんですが、突然、それをやめたらどうなんだろう、曲を作る必要なんてないのかもしれないって思ったんです、そんなことは今まで考えたことがなかった、ひょっとしたらそんな必要はないのかもって!(843ページ)

JRとともに本作の主人公といえるエドワード・バストは音楽家一族の生まれで、ビジネスの合間をぬってオペラの作曲に取り組んでいた。しかし無理がたたって衰弱し病院に運び込まれ、入院した部屋で上記引用のとおり発言する。

複雑な出自ゆえにあいまいなアイデンティティを音楽の才能を示すことで確立したいという動機や、従姉妹への叶わぬ恋心を作品に昇華したいという思いを考えると、彼の創作意欲は確かなものだったと言える。
それがJRに巻き込まれ、波乱の日々の中で芸術家以外の人々と交わり刺激を受けるうちに、自身の価値観も揺さぶられてしまったのではないか。
また、オペラの作曲が思いどおり進まないという創作上の行き詰まりもあり、音楽の道をこのまま突き進んでいいのかという悩みも抱えていたと想像できる。

そこで一度立ち止まり、これまでの価値観をリセットして自分がやるべきことを見つめ直すことで彼は二重思考の罠を回避できたのだ。
自分を変えるのには勇気がいるけれど、二重思考に陥らないためにはそれくらい思い切らないといけないのだろう。

ただ、作曲をやめると言いつつも、結末近くの様子をみるとバストは音楽の道を完全に諦めたわけではないように見える。

彼が音楽の世界に戻るのか、違うことをするのかは読者の想像に委ねられている。
しかし、

作品が面白ければそれでいい、僕自身はつまらない人間で結構!(692ページ)

と言うわりに多くの人からその人間的魅力を評価されるバストだから、個人的には、その強みを生かせるビジネスの世界に転身していったのではないかと考えてしまう。

ギャディスが1987年にニューヨークタイムズに発表した短編「JR Goes To Washington」では12年後のJRの姿が描かれているが、この背後で相変わらずJRにこき使われているバストがいると想像するのは容易だ。

 

2.周囲を変える

——(...)こっちへ来い、JMIは処分するんだぞ、聞いとるか?。
——いいえ。
——そして同族会社の調査を、今なんて言った?(873ページ)

エイミー・ジュベールは財閥一族のモンクリーフ家の出身だが、財閥が作った財団の名ばかりの管理者という立場にやりがいを見出せず教師として働き始め(そしてJRの担任として登場する)、結婚相手も親族の言うことを聞かずに自分で選んだ。
しかし結婚生活は既に破綻しているし、教師の仕事も自分には向いてないのではないかと悩んでいる。

物語の中盤、夫が国外に連れ去った子どもを取り戻すためにニューヨークを離れるところで物語の舞台から姿を消してしまうのだが、どうやらその後は自分を縛り付ける者たちを排除するために行動していたようだ。

そう、自分の信念を曲げることをよしとせず、かといって二重思考に甘んじて現状のまま生きていくつもりもないのなら、自分の信念が通じるように周囲を変えるしかない。

こう書くのは簡単だが、実際にそんなことを成し遂げるのは容易ではない。

そこでエイミーはある人物を味方につけ、邪魔者たちを排除するという計画を遂行する。
この人物こそ、一見すると財閥の経営陣の言いなりだが、そうと悟られずに水面下で着々と準備を進めていたわけで、二重思考の完璧な使い手と言っていいかもしれない。

上に引用した箇所は、それまでずっと従順だったその人物が突如反撃を始める瞬間なのだが(ネタバレして済みません)、たった一行でガラリと流れを変えてしまうという点が『一九八四年』のとあるシーンを思い起こさせた(もっとも『JR』と違い『一九八四年』ではそのシーンのあと恐怖の展開が待っているのだが(再度のネタバレ済みません))。

 

3.何も変えない。二重思考と付き合い続ける。

——タイトルを付けてやる、シンプルな言葉でな、新品同様、どうだ、『アガペー、唖然(アゲイプ)』、未使用のタイトル、どうだ。(747ページ)

著者ギャディスの分身と思しきジャック・ギブズは、エドワード・バストと違って最後まで創作を諦めた様子はない。

彼のこれまでの言動を考えると、ずっと「やる値打ちがあるのか」という疑問を抱きながら書き続けるという二重思考状態のまま生きていくのだろうと容易に想像できる。

だけど別にそれは珍しいことでもないし、悪いことでもない。
われわれ読者の多くも理想と現実との間で折り合いをつけながら生きているのだし。
それに、もしかしたら長い格闘の末に作品が完成する日が来るかもしれない。

実際、彼が書こうとしていた作品、自動演奏ピアノの歴史を軸にした

機械化と芸術に関する大著(872ページ)

になるはずだった『Agapē Agape(アガペー、アゲイプ)』という小説は、後年ウィリアム・ギャディス自身が完成させた。
(ギャディスは若いころから、人間が作り出す芸術の価値を揺るがしかねない自動演奏ピアノという装置に関心を寄せていたそうだ。『JR』に出てくるゼネラルロール社が自動演奏ピアノ用のピアノロールを製造しているという設定は偶然ではない。)

『Agapē Agape』はギャディスが1998年に死去したさらに後、2002年に出版された。

『JR』の出版から27年後のことであり、その間ギャディスは小説を2作発表している。
特に1995年発表の『A Frolic of His Own』では『JR』に続き2度目の全米図書賞を受賞しているが、『Agapē Agape』はそれよりもさらに時間がかかっている。

ギャディスほどの才能をもってしても『Agapē Agape』の執筆にはそれだけの時間を要したというべきか、そんなに時間がかかるならいっそタイトル含めて創作の方向性を見直した方が良かったのではというべきか…。

きっとギャディス自身、ギブズのように「これは挑戦し続ける値打ちのある作品なのか」と自問自答しながらも諦めずに執筆を続けたことだろう。

 

協力者とともに邪魔者を排除して周囲を変えたり、勇気を振り絞って自分の価値観を思いきり変えたりできる人間ばかりではない。

二重思考状に陥った自分を客観的に見て「まぁしょうがねえな」「もうちょっと粘ってみるか」と肩の力を抜き、ひとまず現状を維持するのも一つの手段だ。
ギャディスにもそのような日々があったと考えることは、少し励ましになる。

そして、物語を読むという行為は自分を客観的に見つめるきっかけになる。
人々の内面に寄り添う温かみのある小説もいいけれど、『JR』を読むと、このシニカルで突き放すような語り口の方が自分を冷静に見つめ直したいときには手助けになってくれるのではと思わされる。

私も、別に創作をしたいとか大した野望はないけれど、肩の力を抜いて生きていくためにこの小説は手放さずに持っていようと思う。
めっちゃ分厚くて重いから何回もは読み返せないけどね。

 

9回目の結果(Big Yellow Taxi,Don’t Stop Believin’,betty,Good Morning Baltimore)

第9回の概要

日時 日本時間で6/11(土)夜
場所 LINEを使ってオンライン開催
参加者 3名

前回からしばらく期間が空いてしまいました(もはや定型文)。
別にサボっていたわけではなくて、実はレギュラーメンバーであるYさんの家庭に
子供が生まれる→転勤でアメリカから日本に帰国することになる
という急展開なコンボがあったため、ご家庭が落ち着くまで開催を見送っていたのです。
だからサボっていたんじゃないんです(二度目)

Yさんちも多少落ち着いたとはいえまだ洋書を読める状況ではないだろうと思い、今回は少し趣向を変えて「歌詞が好きな洋楽」をテーマにお気に入りの曲を紹介しあうことにしました。

洋画とか海外ドラマを見てリスニングの勉強をするという人は多いみたいですが、洋楽を聞くのは効果あるんでしょうか?
私も歌詞を意識しながら聞くようにしているんですが、あまり効果は出てない気がします。
ただ、聞き取れなくても文字で歌詞を見て「これええやん!」と感じることはあるので、そういう歌詞が気に入った曲をみんなで紹介しあうのも面白いのでは…負担も少ないし…と考え、試しに一度やってみることにしました。

今回の参加メンバーは以下の3名でした。
・Yさん(3月に子供誕生、5月に帰国というタフなスケジュールをこなした偉人)
・私(そんな偉人をさっそく読書会に誘った阿呆)
・Lさん(そんな阿呆に付き合ってくれる台湾出身のマルチリンガル
それでは以下、簡単なまとめです。

 

☆☆☆

 

私)さて、そんなわけで今回は歌詞が好きな洋楽を紹介していきましょう

Y)最近は音楽をそんなに聞かなくなったな
 若いときのほうが音楽が心に響いてたっていうか
 昔はお風呂に入ったら1時間くらい歌ってたよ

私)二人は英語の歌を聞き取れる?

Y)自分はできないし、帰国子女の友達に聞いても、映画よりドラマより歌が一番難しいって言っている
 文字で読んでみても、歌詞って普通の文章とは違って凝っているし

L)自分も、英語でも日本語でも歌の聞き取りは難しい
 日本語の場合、アニメを見てたら聞き取れるようになったという話は周りでよく聞くね

 

1.私の紹介曲 Big Yellow Taxi(写真左上)
動画リンク
Joni Mitchell - Big Yellow Taxi (Official Lyric Video) - YouTube
歌詞リンク
Joni Mitchell - Big Yellow Taxi - lyrics

①曲の概要

カナダ人シンガーソングライターのジョニ・ミッチェルが1970年に発表した曲。
軽快な感じの曲調ですが、なんと環境問題を取り上げた作品です。
ハワイに旅行したときに森が駐車場で舗装されている光景を見てショックを受けたのがきっかけで作ったとのことで、
They paved paradice and put up a parking lot
というフレーズが繰り返し出てきます。

②やりとり

私)日本でも自然を開発して観光地にしているところはいっぱいあるけど、環境問題以上に景観の面で、バブル期に作られたようなデカいホテルがどーん!って連なってる有名観光地にありがちなダサい光景が最近は気になってます
 アメリカでもそういうダサい観光地はあるのかもしれないけど

Y)景観のことなら、アメリカはヨーロッパには敵わないってアメリカ人自身が言っている
 ヨーロッパの中でも特にフランスの歴史や文化へのあこがれはアメリカ人の多くの奥底にある気がする
 中国だってインドだって歴史はあるじゃん?って思うんだけど、そこは違うらしい

 

2.Lさんの紹介曲 Don’t Stop Believin’(写真右上)
動画リンク
Journey - Don't Stop Believin' (from Live in Houston 1981: The Escape Tour) - YouTube
歌詞リンク
Don't Stop Believin' : 洋楽歌詞和訳・ときどき邦楽英訳(意訳)

①曲の概要
アメリカのバンド「ジャーニー」が1981年に発表した曲。
昔、日産のエルグランドのCMでも使われていましたね。
(調べたら2004年でした。最近だと思ってたのに18年も経っていたなんて…)

②やりとり
L)Gleeという海外ドラマで高校生たちが歌っていたのを聞いてこの曲のことを知った
「夢をあきらめないで」っていう歌詞がドラマの内容とリンクしていて、青春を感じる
 この曲が発表されたのは1981年
 アメリカは不況だったけど、田舎出身の若者たちに「夢をあきらめないで、都市(サンフランシスコ)に行けば夢が叶えられる」と歌っている

Y)サンフランシスコに行けば夢がかなうっていうのは納得
坂道が多い景観はいろんな映画とかのロケ地にもなっていて、若者たちが挑戦したくて来る街というイメージかも

 

3.Yさんの紹介曲 betty(写真左下)
動画リンク
Taylor Swift – betty (Official Lyric Video) - YouTube
歌詞リンク
テイラー・スウィフト betty 歌詞 - Google 検索

①曲の概要
アメリカ人シンガーソングライターのテイラー・スウィフトが2020年に発表した曲。
17歳の男の子が、他の女の子と遊んでしまったけど、本命の女の子への想いを歌い上げる、というテイラーらしい歌です。

②やりとり
Y)テイラー・スウィフトは発音がきれいで、リスニングにいいかなと思って選んだ
 特にこの曲は穏やかなアコースティックで口ずさみやすいテンポ
 それに、英語ならではの韻の踏み方が感じられる

L) would youっていう敬語表現が多く使われているね

Y)この歌の主人公の男の子が女の子に対して持ってる「ごめんね許して」っていう気持ちが伝わる表現になっているんだと思う

 

4.まとめ

私)音楽で英語のリスニング力って向上するんでしょうか

Y)リスニングっていうか発音の面で効果あるように思う
 普段は口が回らなくて、I・want・to・have・itみたいに単語を区切って言っちゃうけど、それじゃ伝わらない
 でも歌を真似するとそれっぽく滑らかに言える気がする

L)英語ならではの抑揚も身につくかも
 抑揚って母国語に引きずられちゃうんだけど、歌だったらそれが無くなるから
 日本語を勉強している友達も、普段は外国語訛りの日本語をしゃべっているのに、日本語で歌うときは訛りが無くなっていた

Y)訓練という意味では、勉強したい歌を歌ったときは録音して聞き直すといいんだろうけど、録音した自分の声って変な風に聞こえて失望しちゃうから、私はしてません(笑)

Y)ふだんは歌詞なんて意識しないし、メジャーな歌手の曲しか聞かないから、今後は有名じゃない歌手でもいい歌詞を書く人がいたら探していきたいなーって思った

私)メジャーな人でも自分では全然聞かないってことはあるよ
 私もテイラースウィフトはふだん聞かないからちょうどいい機会になった。ありがとね
 今回は休みになっちゃったけど、いつも参加してくれてるAさんもミュージカルの曲(※)を紹介してくれる予定だったので、これも自分にとっては未知のジャンルで楽しかったです

※Hairspray より Good Morning Baltimore(写真右下)

 

☆☆☆

 

洋楽を紹介するという初めての試み、短時間であっさりとした進行ではありましたが楽しかったです。
同じ曲を聴いても、人によって押韻に注目したり、敬語表現に注目したりとそれぞれ気になるポイントが違ったのが印象的でした。

メンバーの状況によってはまたこういう会をするのもありですね。
日ごろ自分では聞かないジャンルの曲も開拓していきますか~。

8回目の結果(Sweet Bean Paste,外国語として出会う日本語,LION,The Bridge on the Drina)

f:id:nobirunoji:20220213220118j:plain第8回の概要

日時 日本時間で2/9(水)夜
場所 LINEを使ってオンライン開催
参加者 4名

 

今回の読書会はレギュラーメンバー4名全員が参加となりました。
第6回も同じ状況ではあったんだけど、あのときは本の代わりにプレゼン動画を題材にしていたので、読書会としては初めての4人開催になります。
というわけで簡単なメンバー紹介を。

・Lさん(台湾出身で今は日本で働いている。韓国への留学経験もある)
・Yさん(現在アメリカ在住)
・Aさん(アメリカや北欧に留学していた。今回新たな海外滞在歴が明らかに)
・私(ほぼ日本列島から出たことがないよ)

それではさっそく概要に入りまーす。

 

☆☆☆

 

1.私の持参本 Sweet Bean Paste(写真左上)

①本の概要

樹木希林主演で映画化もされた日本の小説「あん」の英訳。
無気力な男が雇われ店長をしているどら焼き屋に「無給でもいいから働かせてほしい」という高齢の女性がやって来た。
彼女のつくるあんこは絶品だが、それには悲しい理由があって…というお話。

 

②やりとり

私)前回紹介したのがイラクの小説で、場面をイメージするのが大変だったので、今回は日本人作家の本にした。
筋書はシンプルだが、ハンセン病患者への差別や強制隔離という重いテーマを扱っている。
恥ずかしながらハンセン病というものをほとんど知らなかったのでこの本をきっかけにいくつか他の本も読んでみた。

 

Y)この本は外国でも評価高いの?

私)米アマゾンだと高評価が多かった。もともと最近の小説ならなんでもいいからと思って評価が高いものを探したので。

Y)無給で働く=自己犠牲ってことだと思って、そこだけ聞いたら日本っぽい話だなと感じたので、外国でも評価されているのは意外だった。

私)ハンセン病患者への差別はどこの国でもあったみたいだし、現代でもコロナが流行りはじめたころは陽性者を非難する声もあったから、そういうところが共感されたのかもしれない。
でも外国でもボランティアはあるよね?

A)アメリカだとキリスト教徒がボランティアに積極的だったと思う。日本でいうボランティアと、クリスチャンが言うボランティアは違う印象。

L)私が韓国にいたときはクリスチャンの韓国人がボランティアに熱心だったし、留学生の私も積極的に活動に誘われた。
日本や台湾ではそういう経験はなかったから、印象に残っている。

 

私)小説の中で「あんこ」の作り方を丁寧に説明しているのだが、英語でも分かりやすかった。
外国人とあんこや和菓子の話題になったことはある?外国人が和菓子を食べたときの感想など知っていたら教えてほしい。

L)台湾にもあんこがある。旧暦の12月には必ずぜんざいを飲むという風習がある。
ただ、台湾の伝統的なお菓子というとパイナップルケーキなどの方が有名で、あまり小豆を使う習慣がない。お餅もあるけど、中身はあんこに限らずフルーツを使っている。
外国に日本のお土産を持っていくなら「白い恋人」みたいな洋菓子の方が多いかな。

 

L)赤飯も台湾にはない。それに比べると日本ではいろんなところで小豆を使う印象。

Y)韓国人から、ようかんは韓国にもあると言われたことがある。私も韓国系スーパーにあんこを買いに行くことがある。

A)アメリカにいたときのルームメイトがモデルをしていて、健康志向から味噌や小豆を食べていたのを覚えている。

 

2.Lさんの持参本「外国語として出会う日本語」(写真右上)

①本の概要

早稲田大学日本語教育の研究をしている著者が、日本語学習者に多い誤用や言語の背景にある文化の違いなどについて紹介する本。
洋書ではありませんが、外国人として日本語を学ぶLさんならではのチョイスということで紹介してもらいました。

 

②やりとり

L)日本語に関する本を探していろいろ読んでいる。この本では、異文化を体験することが日本語教育のレベルアップにもつながる、ということが主張されている。
文法について聞かれてもネイティブとしては感覚で答えちゃうけど、そこをちゃんと外国人にも分かるように説明するように努めることが国際交流につながるのだそう。
あと、外国人は母語に寄せて理解しちゃうから、ちゃんと説明してあげないと誤った文法のまま覚えられてしまう。
文法って毎日みんなに作られているから、なんで外国人はこう間違えるのか、というのをちゃんと分析した方がいい…ということでした。

 

L)外国人の友達から気になる言い間違いを聞いたことはある?

Y)ちょっと違うけど日本語は書き言葉と話し言葉が離れていると聞いたことがある。
だからLさんが「○○だし」みたいな若者っぽいしゃべり方を使いこなしているのはすごい。

L)逆に、自分が英語を話していてネイティブの先生から「その言い方は変」と指摘されたことはある?

Y)日本人は「○○しなければならない」とよく言うから、英語でも have toとかneed toとか shouldとか使いがち。「定年退職したから旅行を楽しまなきゃ」という意味でhave to と言ったら You don’t have to!って返されたとか。

A)周りから見たらすごくキツい人に思われるかも。

Y)「暗くなってきた」は It’s getting darkと訳すのが一般的で、It has gotten darkとかit has become darkとは言わないけど、私としては「暗くなってきた」も「暗くなります」も「暗い」も使い分けたいのに英語でうまく表現できないのが歯がゆい。

 

私)さっきLさんが赤飯(せきはん)のことを「あかめし」と言ったけど、日本語の音読みと訓読みは外国人には理解できないのでは?と思うことがある。
日本人でも豚汁を「ぶたじる」「とんじる」と2種類の読み方をするし。

L)牛タンならぬ「豚タン(とんたん)」という単語を聞いたときは面白かった。中国語は一つの漢字に一つの読みだね。例外はあるけど、90%くらいの漢字は読み方が一つだけのはず。

 

3.Aさんの持参本「LION」(写真左下)

①本の概要

5歳の時にインドで迷子になって家に帰れなくなった男性がオーストラリアで養子として育てられるも、グーグルアースで故郷を見つけだしたという実話をまとめた本。
映画化された「ライオン ~25年目のただいま~」も現在公開中。

 

②やりとり

A)幼い主人公は間違えて電車で遠くまで行ってしまったんだけど、5歳だから親や故郷の名前も正しく言えず、一時は浮浪児みたいになっていたそう。
その後運よく保護されて孤児院に入り、そこからオーストラリアの夫婦に養子にもらわれることになって。だけど故郷に戻りたいから、5歳のころの記憶を忘れないようにずっと思い返していた。
大人になってグーグルアースを使って真剣に探しはじめたんだけど、心当たりのある駅から一駅ずつ周辺の様子を見ていたから1年かかって、それでようやく故郷を探し当ててお母さんに会えた…というところまで読みました(笑)

 

A)5歳の記憶って覚えてる?

私)ぜんぜん覚えてない…と思ったけど、幼稚園に行っていた年齢だから園内の出来事とかは断片的には覚えているかな。

A)小学校1年生くらいのときにお母さんと一緒にインドとアフリカに行ったことがあるんだけど、あんまり覚えていないのが残念。

Y)うちももうすぐ子供が生まれるんだけど、意外と小さいころのことって覚えてるから気を付けないとね。

全員)それはおめでとうございます!

A)日本人の子供がアメリカで生まれたらアメリカ国籍と日本国籍を選べるんだっけ?

Y)18歳でどちらかを選ばなきゃいけないらしいけど、有名人でもない限りそんなこと調べられないから、こっそり二重国籍にできないかな~なんて思ってます。笑

 

4.Yさんの持参本「The Bridge on the Drina」(写真右下)

①本の概要

ボスニアセルビアの間にかかる橋を舞台に400年の歴史を描く歴史小説
ノーベル文学賞を受賞したイヴォ・アンドリッチの代表作。
ドリナの橋」の題で邦訳も出ている。

 

②やりとり

Y)ノーベル賞作家の作品なので表現が多彩で、読むのが難しい。まだ読んでる途中です。

私)なんでそんな難しい本を読んでるの?

Y)いろんな国籍の友達と自分の国の本をお勧めすることになって、セルビア人の友達から紹介された。ちなみに私は夏目漱石の「こころ」を紹介した。

私)どうして「こころ」を?

Y)最近の小説より昔の名作を読みたいというお願いをされたから。
紹介する前に自分でも読んでみたけど、英語の方が簡単だと思った。原文だと明治時代の日本語で書かれているから分かりにくいよね。
Lさんにとっても台湾の古典を読むのは難しい?

L)難しいですね。文法が分かれば読めるんだけど、教科書にはいろんな時代の作品が収録されているから、時代によって文法が違っていて大変。

Y)日本語も、平安時代の言葉が読めないのは分かるけど、なんで明治時代からでさえこんなに変わっちゃってるんだろう。

私)さっきLさんが紹介した本で「文法は毎日みんなに作られている」という話があったけど、若者言葉のような小さな変化でも100年以上積み重なるとここまで変わっちゃうのかもしれないね。

 

☆☆☆

 

いろいろ端折りましたが、だいたいこんな感じでした。
4人で4冊の本を紹介するので効率よく進行できるように司会したつもりが、最初の和菓子の話からさっそく話が盛り上がり脱線していました。
やはり、食べ物の話は盛り上がる…!

 

7回目の結果(Frankenstein in Baghdad,心を動かす英会話のスキル,The Happiest Man on Earth)

f:id:nobirunoji:20211101200629j:plain第7回の概要

日時 日本時間で10/27(水)夜
場所 LINEを使ってオンライン開催
参加者 3名

 

いつの間にかすっかり涼しくなり、コロナもずいぶん減り、このまま2021年は終わっていくのか?という10月下旬、通算で7回目の読書会を開催しました。

今回の参加者は3名、いずれも前回に続いての出席です。
・私
・Yさん(ビザを更新して再びアメリカに)
・Lさん(台湾出身)
これまで皆勤賞のAさんは今回は都合によりお休みでした。残念!

それでは今回の概要を発表順にまとめていきます。

 

☆☆☆

 

1.私の持参本 Frankenstein in Baghdad(写真左)

①本の概要

イラク人作家アフマド・サアダーウィーがアラビア語で書いた小説。の英訳。
自爆テロの続くバグダードで、テロ被害者の遺体を縫い合わせた怪物が生まれた。
(タイトルの「フランケンシュタイン」はここから)
怪物が暗躍するバグダードを舞台に、そこに暮らす人々、ジャーナリストたち、怪物を追う謎の政府機関などの人間模様が描かれる。
バグダードのフランケンシュタイン」のタイトルで邦訳もされている。

 

②やりとり

私)バグダードという馴染みのない都市が舞台で、登場人物の服装とか街並みとか食事とかのビジュアルがまったく想像できなかった
みんなは小説を読むときに脳内で映像化する?

L)自分は特にしないような気がする

私)映像化まではしなくても、物語だから場面を想像しながら読む必要があって、よく知らない外国の小説なんかだとそれが負担になることもある

Y)有名人の伝記だったらその人が成功していくという大きな流れが分かるけど、小説は先が読めないから難しい
だから伝記とかビジネス本とかの方が入り込みやすい

 

私)イラクの小説なのに登場人物にキリスト教徒がいたり飲酒のシーンがあったりして意外だった
調べたら、イラクにはシーア派イスラム教徒が多いものの、スンニ派少数民族クルド人キリスト教を信仰するアッシリア人などもいる多民族国家らしい
そういう複雑な背景を反映して、この小説でも最後に何か問題が解決するわけではなく、バグダードの混沌は続いていくという描写だった

Y)話そのものは面白かった?私たちにもおすすめできる?

私)エンタメ作品じゃないから派手なクライマックスだのカタルシスだのは無い
でもブッカー国際賞の最終候補になっただけあって、登場人物は多いんだけどそれぞれの心情や関係性が丁寧に書かれている良い小説だったと思う
ただ、英訳だと人名の正確な発音が分からないから、カタカナで発音が分かる日本語版を読んだ方がいいかな(笑)

 

2.Lさんの持参本「心を動かす英会話のスキル」(写真右)

①本の概要

依頼や誘い、断りなど12の場面でそれぞれ50人のイギリス人とアメリカ人の言葉遣いを分析した本。
洋書ではありませんが、Lさんから
「日本人は英語でしゃべる時どんな気持ちで丁寧な言葉を使っているか」
「外国人の日本語敬語表現をどう理解するか」など、
外国人との敬語でのコミュニケーションという興味深いテーマを提案されたので、今回の読書会で紹介してもらうことにしました。

 

②やりとり

L)最近、日本語の敬語の使い方を勉強していて、他の言語の敬語表現のことも知りたくなった
本書の作者とはオンラインで話したことがあったから、その興味から読んでみた
この作者はアメリカとイギリスに留学していたので、アメリカ人とイギリス人の敬語の使い方の違いなどを詳しく説明している
自分の勤め先では外国人のお客さんが来ることがあるから、どう対応したら失礼にならないか考えている

Y)ネイティブに言われて初めて失礼な表現だと知ったこともある
Why did you come to US ? は責められているようなニュアンスがあるから
What brought you to US ? の方がいい…とか

 

L)アメリカの職場では、みんな上司にはどんな風に接している?

Y)日本だったら上司にものをいうのを遠慮してしまうけど、アメリカでは上司の方が「もっと言ってこいよ」みたいな姿勢でいる
上司からも、日本だったら遠回しに指摘する場面で「こうやらないとダメ」とはっきり言ってくる
ただ、ミスを指摘された部下も、謝罪とか釈明とかせずに「やっちゃったものはしょうがないじゃん」という態度をとることが多い

L)日本人はすぐ「すいません」とか「ごめんなさい」って言うね
自分は悪くないのにとりあえず謝罪している気がする

Y)通路でぶつかっちゃったみたいな状況ならアメリカ人でも謝るけど、仕事の場面では謝らない
謝罪すると責任を認めることになっちゃうから

 

Y)文化の違いといえば、接客の丁寧さも日本と外国では違うと感じる

L)日本っぽいと思うのが、レジの店員が「お渡ししますね」や「袋に入れましょうか」みたいに、実際の行動をとる前に一言声をかけてくるところ
外国だといきなり渡してきたりするから

 

3.Yさんの持参本「The Happiest Man on Earth」(写真中央)

①本の概要

アウシュビッツ強制収容所、そして「死の行進」を生き延びた筆者が、どんな状況にあっても人間性やモラルを失わず生きる大切さを説いた本。
アウシュビッツからの生還後、ドイツの土は二度と踏まないと決めオーストラリアに移住。自分自身を世界で一番幸せな男としている。
今年7月には「世界でいちばん幸せな男」として邦訳も出されている。

 

②やりとり

Y)アウシュビッツの生存者が高齢になってきている
この人もずっと沈黙していたが、最近話すようになってきた
アウシュビッツで父母を失った悲痛な経験や子供が生まれて感じた心境の変化など、家族に対する思いについて書かれている
日本は核家族化などで昔ほど家族のつながりが強くなくなっていると思うが、台湾人の家族観はどう?

L)台湾では「親しい人には礼儀はこだわらなくてよい」みたいな諺がある
日本では逆の言い方をするよね

Y)確かに、家庭内でもみんなの気持ちを汲んで、あれもやらなきゃこれもやらなきゃみたいなことがあるかな

L)日本では子供も家事を手伝うと聞いたが台湾ではそんなことはない
お母さんのやることだという認識

Y)それが日本だと「女子力」とかいって、女性に仕事や勉強だけでなくご飯を作れる能力なんかも求められている

L)それが中国だと彼氏が彼女に料理作ってあげるんだよね
「女の子に料理させると手が荒れちゃうから」みたいな価値観
韓国人と話していたら彼女の足を洗ってあげると言っていたことに驚いたけど、ドラマでも見たことがある
そう考えると、日本では男性の方が立場が上なように思う

 

Y)日本もドイツのように戦時中の行為について他国から責められることがあるから、外国人と歴史問題について話すことは難しい

L)台湾ではそうでもなかったが、本土の中国人や韓国人の前で日本の植民地支配の話をしたら関係が悪くなったことがある
私は大学で歴史を学んでいたから本当はそういう話もしたかったんだけど
一方、日本ではみんなあまり歴史に関心がない気がする

Y)学校の授業では先生の話を聴いているだけで議論がなかったから、学校のみだと自分の考えが身につかないんだろうね

 

☆☆☆

 

大筋だけを文字にしてみたところ、後半は私が発言していないようなまとめになってしまいました。
ちょっとは喋ったんだけどな。泣。

やはり生きたコミュニケーションや異文化体験に関する経験談だと、海外暮らしや外国人の視点がある人が強いですね。

だから私も海外生活しなきゃ!とは言わないけど、海外旅行くらいはしたいものです。
早く世界中でコロナ収束しないかな~
(日本も油断できないけど)

6回目の結果(Digital Social Innovation to Empower Democracy)

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第6回の概要

日時 日本時間で8/20(金)夜
場所 LINEを使ってオンライン開催
参加者 4名

 

前回から半年たちましたが、このたびようやく6回目を開催しました。
今回は新たに1名の参加者が加わりました。
また、今回はメンバーがそれぞれ本を紹介するのではなく、ひとつの動画をテーマに話し合うという初めての方法での開催でした。

それではさっそくざっくり概要をまとめていきまーす。

  

1.参加者 

まずは前回からの参加者が3名。
・私(さいきん引っ越した)
・Yさん(アメリカからビザ更新のため一時帰国中)
・Aさん(さいきん家を建てた)

うーん、全員バタバタしていたので前回から期間が空いたのもしょうがないね!😂

 

そして今回の新たな参加者がLさんです。
Lさんは台湾出身で現在は日本企業に勤務、韓国と中国本土に滞在経験もあるマルチリンガルです。

 Yさん、Aさん含めメンバーの中で私だけが英語を喋れないのですが、みんなが優しいのに甘えて今回も会の進行はバッチリ日本語で行いました。みんなありがとう😂

 

2.テーマ

今回は久々の開催であり、初参加のLさんもいたので、いつものように各自が読んだ本を紹介する方法はやめました。
その代わりに課題となる動画を選んで、当日はそれを見た感想を話し合うことにしました。

 

選んだ動画はこちら

Digital Social Innovation to Empower Democracy | Audrey Tang | TEDxVitoriaGasteiz - YouTube

台湾のデジタル担当大臣オードリー・タンがTEDでスピーチしたときの動画です。
2019年の動画なのでコロナ前、まだ日本では今ほど有名ではなかった頃ですね。
でもこの時点で大臣になって3年目、ユニークな取組ですでに多くの成果を出していることが紹介されています。

そんな動画を題材に、オードリー・タンという人物、台湾と日本のDX(デジタル・トランスフォーメーション)の差、新しい政治のあり方などについて話し合いました。

 

…こう書くとなんかすごく意識の高い集まりみたいですね。
期待してもらったら申し訳ないのですが実際に話し合った内容はフツーの感想です、ということを次にまとめます。

  

3.話し合いの概要

 私)Lさんはオードリー・タンについてどう思う?

L) あまり台湾のニュースを見ていないので実はよく知らない(笑)
名前は台湾の人っぽくない
確か改名したと聞いたことがある
(注:調べたところ「唐 宗漢」から「唐 鳳」に改名したらしいです)

 

私)動画を見て感じたのは、デジタル化は手段であって目的じゃないということ
この人がめざしているのは政治の透明化と市民参加で、それを可能にするのがデジタル技術なんだと理解した
最近「デジタル化で業務を効率化しよう」みたいな文脈でDXという言葉を聞くが、台湾がめざしているのはそんなレベルではないみたい

 

Y)オードリー・タンが台湾の大臣になったのは35歳の時と聞いた
それまで政治に関わっていたわけでもない若い世代が大臣に抜擢されてDXに取り組めるのがすごい
台湾のイメージが変わった
それと比べると日本はコンサバというか、新しいものを取り入れないよなーと思う

 

Y)オードリー・タンの思想は無政府主義という印象
大学で学んだ「政治」とは全く違う
投票で選ばれた政治家が政策を決めるのではなくて、有権者が政策形成に直接参加するという方法
民意をどう反映するかの新しいモデルを示している

 

A)私はさいきん異動して、それこそ社内のDXを担当する部署にいるんだけど、そこのトップを社外から雇っている
その人もこの大臣のようにITの分野で起業したりいろんな経験をしているが、そのぶん一般的な日本の組織の感覚が分かってもらえない
言っていることはもっともだけど制度やルールがあるので難しい事情があり、そのハードルを理解してもらえないのが現状

 

L)私としては、このような人物が世界で活躍しているのが台湾の誇り
「台湾」と書いたTシャツを着て公の場に出ることもあり、そういう主張をすると中国からも文句があるだろうが、本人も台湾人の誇りがあるからあえてやっているのだと思う

 

私)政治の経験がない人が30代で大臣になれたのはなぜだか知ってる?

L)自分もよく分からない
台湾で政治家になろうとしたら、政治家の家系でない限りは政党に入って政治機関で働いて…というふうにキャリアを積むのだが、この人は政党に入っていないはず
与党の民進党がこういう人材を探していて、それで引き上げられたんじゃないか

 

A)日本でもデジタル庁が9月に発足するが、まだトップは決まっていない

Y)どんな人がなるのかな
トップにどんな人が就くかがすごく重要になるだろうね

 

Y)台湾は政府に対する信頼は厚い?

L)そんな気がする
私の父は民進党支持者だが、政策というより党に対する支持
若者の方が政策をしっかり見ている
今の政府はコロナ対策をしっかりしているから大丈夫だと思う
二大政党(国民党と民進党)の政策は全然違っていて、国民党支持者は自分も中国人だと思っている
だから他の国とは政党支持の意味が違うかも
香港でも独立派と親中派があるけどね

 

私)ITの分野ではアメリカが最先端というイメージだけど、アメリカに住んでてどう感じる?

Y)アメリカはもちろんIT先進国だけど、大統領選ではずっと選挙人制度を維持しているし、最後の党首討論での演説合戦がすごく重要だし、そこにアメリカ人の魂を感じる
去年の大統領選でも郵便投票が問題になってたけど、伝統的な方法から変える気はないのかな
意外とアメリカは最後まで伝統的なやり方を残すんじゃないかって思う

 

私)じゃあ民間企業はどう?アップルとかテスラとか独創的なIT企業があって、政治の世界とは感覚が違うと思ってるんだけど

Y)私が働いていたのは弁護士事務所で、アメリカの中でもかなり保守的な業界だけど、それでも日本よりは進んでると思う
裁判所も全部電子化して、電子署名とかできるようになっている
ただ、それでも想像の範囲内で、日本もこれくらいやってほしいよねっていうレベル

 

私)Lさんは台湾、韓国、中国の状況を知っているけど、日本企業のデジタル化はどう見える?

L)中国で働いていたのは先端の大企業じゃなくて中規模の企業だったから、そこの経験から見れば日本も同じくらいの印象かな

 

Y)この10年くらいで日本の立ち位置が悪い方に変わって来たと感じる
オードリー・タンみたいな人が重要なポストにいるかどうかで言うと、全然だめ

L)台湾のサイトでも「日本のIT企業は待遇が良くない」と記事になっているのを見た
台湾でもIT業界だとジョブ型雇用で給料が高い、なのに日本だと年功序列だからみんな同じ給料…みたいな
特にIT分野ではスキルがあれば年齢関係なく仕事が選べるから
それと外国人にとっては日本語喋れなくても働けるので、外国企業との人材獲得競争になってしまうよね

 

☆☆☆

 

ざっくりまとめるとこんな感じですが、ここに書いてないやりとりもいろいろあります。
個人的に凹んだのは、わが社のアナログっぷり(書類にハンコを押して本社に郵送して…)を紹介したらめっちゃ笑われたときです。
うむ、客観的に見るとヤバいよな、弊社のアナログっぷり😇

 

それと英語力のない私にとってYouTubeの字幕機能と再生速度の調整機能はチョー便利でしたね~
正直アジア人のオードリー・タンのスピーチでもあまり聞き取れなかったのですが、字幕オンと0.75倍速再生にしたおかげでなんか分かった気にはなれました。
それでも分からないところはありましたが(けっこうあった)、最後は文字起こしを読んでなんとか読解しました。

ありがとうデジタル技術!
わが社でもDXが進むよう私もできる範囲でなんとかしたいと思いました。まる。

 

「大川周明世界宗教思想史論集」その他大川周明をめぐる読書メモ

f:id:nobirunoji:20210627235204j:plain気が付けば6月末…
しばらく更新しておりませんがブログを書くのに飽きたわけではありませんよ。
みなさま引っ越しとか人事異動とか転職とかあってなかなか読書会ができていないんです。
ただ個人的には孤独にコツコツ読書しているので、たまには読書会と関係なく読んだ本についてもちょちょっと書いてみようと思います。

 

----------------------------------

1.
大川周明に興味がある、と言うとあまり好意的でない反応をされそうだ。
(その前に「誰それ?」という顔をされそうだが)

 

大川周明1886年-1957年)とは ―
アジア主義の思想家として大日本帝国のアジア侵略を正当化し、また対米開戦をも扇動したとして、同盟国からは「日本のゲッベルス」とも評された、民間人で唯一のA級戦犯
東京裁判にパジャマで出廷して東条英機の頭を叩くなどの奇妙な行動をとったことで精神異常と診断され、免訴に。
戦前から軍部や右翼団体と深く関わっており、五・一五事件では青年将校らに資金提供したとして検挙されている。

 

こう書くとヤバい人物にしか思えないのだが、一方でイスラム研究者としてコーランを翻訳したり、日本に亡命してきたインド独立運動の指導者を支援したりと、単なる国粋主義者ではない一面も見えてくる。
そんなよく分からない人物像に興味を抱き、これまで大川自身の著作や伝記の類を数年かけてぼちぼち読んできた。…アブナイ人と思われたくないので誰にも話したことはないけど。
つい最近も新たに一冊読んだのだが、これで5,6冊目になるだろうか。
飽きっぽい自分にしては珍しく10年以上持続して読み続けているテーマになるので、この機会にいままでの読書内容を振り返ってみたい。

 

2.
私がこれまで読んだ大川周明関連の本を時系列に整理してみよう。

 

中村屋のボース中島岳志 著、白水社、2005年)
インド独立運動を指導するも祖国を追われ、インド独立を見ぬまま亡命先の日本で客死、そして新宿中村屋インドカレーを伝えたR.B.ボースの伝記。
なぜこの本を読んだのかは忘れたが、少なくとも大川周明がきっかけではない。というかこれがきっかけで大川に興味を持ったような気がする。

 

古蘭 文語訳大川周明 訳、書肆心水、2010年)
大川が訳したコーランの文語訳。
東京裁判から移送された精神病院への入院中に訳したもので、もとの出版は1950年。
アラビア語からの翻訳ではなく英語やドイツ語等の訳を参考にした重訳とのこと。
岩波文庫井筒俊彦訳を読んだ後に本書の存在を知り、そういえば大川周明って①の本に出てきたなと思ってコーランそのものより翻訳者への興味から読んだ。
とりあえずコーランを読みたいという方には岩波文庫版をお勧めするが、一味違った文語訳に興味があれば一度お試しあれ。高いけど。

 

日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く佐藤優 著、小学館、2011年)
日本軍の真珠湾攻撃後に大川が戦意高揚のためラジオで連続講演した「米英東亜侵略史」の全文に佐藤優が解説を加筆したもの。
上記②を読んだことで次は大川本人による文章を読みたくなったものの、どれも高価なハードカバーで大型書店じゃないと売っていなかったので、文庫で手に入りやすかった本書を購入した。
佐藤優による解説も丁寧だが、元がラジオ講演のためか大川の文章だけでも十分に理解できるほど明瞭な内容である。

 

大川周明と狂気の残影―アメリカ人従軍精神科医とアジア主義者の軌跡と邂逅(エリック・ヤッフェ 著、樋口武志 訳、明石書店、2015年)
東京裁判で大川を診察した精神科医ダニエル・ヤッフェの孫が、大川とヤッフェ両者の記録を辿りながら「大川の精神異常は本当だったのか、それとも刑を免れるための詐病だったのか」というミステリーに迫る本書。
アメリカ人、それも関係者の親族から見た大川周明というこれまでになかったアプローチの研究である(きっと今後もないだろう)。

 

大川周明 アジア独立の夢―志を継いだ青年たちの物語(玉居子精宏 著、平凡社、2012年)
昭和13年大川周明を所長とする私塾「東亜経済調査局附属研究所」が設立された。その卒業生たちは東南アジア各地に渡り、各国の独立運動や日本軍のための現地工作を進めることになった。高齢の卒業生らへの聞き取りから、忘れられた日本とアジアの歴史を掘り起こす一冊。
思想家や活動家でなく教育者としての大川にスポットを当てており、また関係者が存命しているおそらく最後のタイミングに調査が行われた、これも貴重な記録だ。

 

3.
そしてこのたび読んだ一冊がこれ(トップ画像)。

 ⑥大川周明世界宗教思想史論集大川周明 著、書肆心水、2012年)
これは書籍としては成り立ちが特殊で、それぞれ異なる時期に書かれた複数の原稿を再編成して一冊にまとめたものになる。
全2部から構成されるうち、第1部は
1921年刊行の「宗教原理講話」
・その訂正増補版として書かれた遺稿の宗教論
の二つから重複分を除外するなどして編成されており、第2部は
・1930年刊行の「大思想エンサイクロペヂア」第8巻に収録された「インド思想概説」
の全文となっている。

 

なぜ大川周明の著作の中でもそんなマイナーな本を読む気になったかというと、全編にわたって大川の筆がノッているからだ。
その振れ幅の大きい生涯のせいで忘れそうになるが、もともと大川は東京帝国大学で宗教学を修めた専門家である。
その大川が世界中の主だった宗教思想について執筆したのだから、そりゃ筆もノるだろう。
山中伸弥教授がiPS細胞についての入門書を書くようなものだ(え、違う?)

 

例えばバビロン捕囚について書かれた箇所を引用しよう。

預言者の警告が痛ましき事実となりて、イスラエル人の頭には、峻烈なる神の笞が加えられた。自らエホヴァの寵民を以て矜れるイスラエル南北両朝のうち、北方イスラエル王国は、西紀前七二二年アッシリアサルゴンの為に亡ぼされ、南方ユダヤ王国は、西紀前五八六年バビロン王ネブカドネザルのために征服された。勝誇れるバビロン軍は、見る影もなくエホヴァの神殿を毀ち、飽き足るまでエホヴァの選民を屠り、その肉を天の鳥・地の獣の餌食に与え、その血を河の如くエルサレムの周りに流した。而して生残れる人々を、無残にも敗残の聖都よりり立て、ことごとくこれをユーフラテス河畔に拉し去った。これ即ち名高きバビロン虜囚である。(p63)

世界史の教科書なら2,3行の無味乾燥な説明で終わりそうなところも大川にかかればこの盛りっぷりである。
全編この調子で、先史時代の原始的な自然崇拝がユーラシア大陸においては教祖・教義・教団の三要素を備えることで宗教に発展し、西ではゾロアスター教ユダヤ教が、南ではバラモン教が、東では儒教が生まれ、さらにそれらが硬直化してくると原点回帰の声が興り、ユダヤ教に対してはキリストが、バラモン教に対しては仏陀が説いた教えがそれぞれキリスト教と仏教として継承され…と解説が続いていく。

 

こうして読者はノリにノッた文体を味わいながら大川流の世界宗教思想史を追うことになるのだが、時代が進み現代インドが舞台になる第2部後半に至って、そのテキストの性格が学者による講義から同時代のルポルタージュに変容したことに気付く。
当代インドの宗教活動家たちの思想を紹介するという点では趣旨は変わらないのだが、それらの思想が植民地支配からの独立運動の核となっていることに触れ、最後には、インド独立のあかつきには彼の地から西欧文化と異なる新たな文明が生まれることへの期待が語られる。
終盤から2か所引用してみよう。

一般民衆に至りては、かくの如き政治問題に対して、概ね無智なるか然らずば風する馬牛であった。然るに今日を見よ、英国の庇護の下に立つ藩王、英国政府の官吏、及び現在に於て富貴と栄誉とを享有する一部の階級が現状維持を念とする以外、インド人の殆ど全部が一斉に英国統治の根本的排斥を理想とし、既にその魂に於いてこれを実現しつつある。(p249)

 世界は長く文化とは西欧文化のことと迷信して居た。而も世界戦及び世界戦後の歴史的進行は、遂に西欧文化の破産を招いた。かかる時に際して、インド精神の復活は、実に二重の意味に於て偉大なる世界的意義を有する。第一は外面的に、その政治的独立が、ただにインドに於てのみならず、禍悪を世界に蒔くイギリスから、一挙にして強国の地位を奪い去るべきことである。第二は、内面的に、その精神的独立が、インド本来の精神に根ざせる新文明の創造によって、人類向上の為にめでたき貢献をなすべきことである。(p254)

 

4.
本書を読み、大川とは学者ではいられない気質の持ち主であったことをつくづく感じた。
上に引用した文章だって「大思想エンサイクロペヂア」に寄せたもののはずなのだが、まるでインド独立運動の最前線を伝えるドキュメンタリーであるかのような熱気がこもっている。
そんな人物ゆえに激動の時代にあって書斎に籠ることをよしとするわけがなく、自ら歴史の渦中に飛び込まずにはいられなかったのだろう。
だからインド人活動家が亡命して来たら自宅に匿うし(前掲書①)、アメリカとの戦争が始まれば日本の使命をラジオで喧伝するし(前掲書③)、青年たちに希望を託してアジア各地に送り込んだ(前掲書⑤)。

こうした大川の思想と行動を現代の視点から肯定的に評価することは難しい。
東京裁判免訴されたとはいえ、長期にわたり日本の帝国主義のイデオローグの役割を果たしたことは事実だからだ。
けれど、現代ですら日本人にとって海外といえば欧米と東アジアでありインドやアラビアなどはるか遠い存在であるのに、戦前からそれらの地域を見すえ広くアジアの連帯を訴えていた大川である。
その視野の広さ、先見性を部分的にでも評価することはできないものだろうか?

 

5.
そんな風に考えていたところ、まったく予期しない書籍で大川の名前を見る機会があった。

大江健三郎賞8年の軌跡「文学の言葉」を恢復させる大江健三郎 著、講談社、2018年)

大江自身が選考委員を務める文学賞大江健三郎賞」。
その歴代受賞者との対談をまとめたのが本書だが、第3回受賞作「光の曼陀羅 日本文学論」の著者・安藤礼二との対談で大江は次のとおり大川に言及する。

私は、アジアの神秘思想というものがあって、それがヨーロッパの神秘思想とも通じるという意見、日本の神秘思想といわないで、アジア全体の神秘思想としてとらえなければいけないという意見に賛成です。ところが、戦争の末期に至る一九四〇年代、大東亜共栄圏思想というものがありました。大東亜、広い意味でのアジアの人たちが現実世界で共闘してやっていく。具体的にそういう政治体制もつくる。アメリカという大きな国があるように、アジアにも大きい統一された国をつくろうというようなことを考えて、神秘思想だったものを現実の政治的な世界の言葉と重ね合わせた人たちです。その中心的な一人が大川周明でした。井筒俊彦ともおおいに通いあったらしい、と安藤さんの本で教わりました。
そして私は、今、大川周明をその神秘思想に限って評価し直すということについては、気を付けなければいけないと考えています。
kindle版のためページ数不明)

これを受けて「光の曼陀羅」の主役である折口信夫を引き合いに安藤はこう返す。

今おっしゃられたことは大変重要であると思います。折口信夫という人は明らかに二面性を持っていると思うんです。(中略)戦争中の短歌を見ると、やはり強烈に右翼的な歌もあるし、逆にその天皇論を考えてみると、万世一系を明確に否定し、女帝の即位を歓迎している。つまり天皇制を破壊するための最も有効な方法があるとしたら、それは折口の方法です。
そういった意味で、極右的な部分と極左的な部分の両極端を一人の人間の中で複雑に同居させている。光と闇を等分に持っている人で、私は折口を研究することで、人間というのはその人の持つ複雑さと深さがそのまま表現の複雑さと深さにもつながるのではないかと考えるに至りました。だから、折口を一義的に断罪するのではなく、またその反対に一義的に賛美するのでもなく、複雑さを複雑さのまま理解し、それを自分の前に出現した最強にして最大の他者として、折口に抗いながら自らの表現を鍛え上げていかなければならないと考えました。その作業はまだ終わっていません。おそらく私の生涯の課題になると思います。kindle版のためページ数不明)

 

これを読んでなるほどと思った。
複雑さを複雑さのまま理解すること。
それを自分の前に出現した最強にして最大の他者として抗うこと。
この「他者」が、私にとっては大川周明なのかもしれない。

複雑な物事を単純化したり一部を都合よく抜き出したりしてしまいたい誘惑を振り切り、その複雑さをまるごと受け止めて自分の頭で考える。
そういう人間に私はなりたいから、これからも大川周明に関する読書はぼちぼち続けようと思う。

 

ミノタウロスの皿、あるいは漫画を読む読書会"未"開催記・後編

f:id:nobirunoji:20210328233837j:plain前回の記事で漫画を読む読書会の準備をしたところまでは書きました。

しかーし、諸般の事情(主にみんな忙しいからとかそんなの)で延期することになり、しばらく再開は難しそうな状況です。

でもせっかく買って読んだので、忘れないうちに大ざっぱな感想ぐらいは記録しておきたい!記録しておけば再開するときに役に立つかも!

そんなわけで後編では個人的なメモを残しておきます。

 

短編一つ一つの感想は読書会のために残しておくとして、シリーズ全体を読んでの感想になります。

(課題図書はシリーズ中の1冊「ミノタウロスの皿」だけなんですが、私は画像のとおりシリーズ全4冊買ったので)

 

1.

書かれた時期が1970~1980年代のため、冷戦を反映してか核兵器によるカタストロフを意識したもの、また人口爆発による食糧難などの危機をモチーフにしたものが多かったです。

冷戦が終わって、日本では少子化と人口減少が課題になっている今、少し時代遅れな印象を受けますね。

もし作者が今の時代に執筆したら、SNSに振り回される人々や行動・嗜好が全て電子記録に残る監視社会を皮肉を込めて描いたかもしれません。

 

けれど、よく考えたら冷戦は終わっても核兵器は世界中に配備されているし、地球規模で見れば人口は増加し続けているし、何も問題は解決していないわけで。

あとから新たな問題が生まれて来たからみんなそれに目を奪われているだけで。

「核の恐怖とか時代遅れだね~」とのんきに言っている私自身も、無知や欲のせいで悲惨な目にあう登場人物たちと変わらないのでしょうね。

 

2.
F作品のうち子ども向けのもの、つまりほとんどの作品には空を飛ぶシーンがよく出てきます。

たしか「藤子F不二雄大全集」では、表紙をめくった見返しのところが空を飛ぶキャラクターたちをコラージュしたページになっていた記憶がありますが、これなどまさに象徴的なデザインだと思います。

ひるがってこの作品集を読むと、空を飛ぶシーンはほとんどありません。

もちろんSFなので宇宙船やロボットが空を飛ぶ場面もあるんですが、それにしたってパーマンオバQが宙に浮かんだり、ドラえもんたちがタケコプターで自由に空を飛びまわったりするような無邪気さ、爽快さとはまるで無縁。

 

細かい理屈抜きで空を飛ぶことが藤子F不二雄にとって童心の象徴なのだとしたら、重厚な機械なしには空を飛べないこれらの短編は、文字どおり地に足を付けた作品群なのでしょう。

そうそう、オバQといえば、この「ミノタウロスの皿」にはオバQと大人になった主人公たちが出てくる「劇画・オバQ」が収録されています。

そのラストは、ちょうどオバQが空を飛んでいく場面で終わるのですが、その結末の侘しいこと…

 

 

ざっとした感想は以上です。

もし急に読書会を再開することになったのに内容を忘れてしまっていても、取り急ぎこの記事を見ればなんとか喋れるな(笑)