ミノタウロスの皿、あるいは漫画を読む読書会"未"開催記・後編
前回の記事で漫画を読む読書会の準備をしたところまでは書きました。
しかーし、諸般の事情(主にみんな忙しいからとかそんなの)で延期することになり、しばらく再開は難しそうな状況です。
でもせっかく買って読んだので、忘れないうちに大ざっぱな感想ぐらいは記録しておきたい!記録しておけば再開するときに役に立つかも!
そんなわけで後編では個人的なメモを残しておきます。
短編一つ一つの感想は読書会のために残しておくとして、シリーズ全体を読んでの感想になります。
(課題図書はシリーズ中の1冊「ミノタウロスの皿」だけなんですが、私は画像のとおりシリーズ全4冊買ったので)
1.
書かれた時期が1970~1980年代のため、冷戦を反映してか核兵器によるカタストロフを意識したもの、また人口爆発による食糧難などの危機をモチーフにしたものが多かったです。
冷戦が終わって、日本では少子化と人口減少が課題になっている今、少し時代遅れな印象を受けますね。
もし作者が今の時代に執筆したら、SNSに振り回される人々や行動・嗜好が全て電子記録に残る監視社会を皮肉を込めて描いたかもしれません。
けれど、よく考えたら冷戦は終わっても核兵器は世界中に配備されているし、地球規模で見れば人口は増加し続けているし、何も問題は解決していないわけで。
あとから新たな問題が生まれて来たからみんなそれに目を奪われているだけで。
「核の恐怖とか時代遅れだね~」とのんきに言っている私自身も、無知や欲のせいで悲惨な目にあう登場人物たちと変わらないのでしょうね。
2.
F作品のうち子ども向けのもの、つまりほとんどの作品には空を飛ぶシーンがよく出てきます。
たしか「藤子F不二雄大全集」では、表紙をめくった見返しのところが空を飛ぶキャラクターたちをコラージュしたページになっていた記憶がありますが、これなどまさに象徴的なデザインだと思います。
ひるがってこの作品集を読むと、空を飛ぶシーンはほとんどありません。
もちろんSFなので宇宙船やロボットが空を飛ぶ場面もあるんですが、それにしたってパーマンやオバQが宙に浮かんだり、ドラえもんたちがタケコプターで自由に空を飛びまわったりするような無邪気さ、爽快さとはまるで無縁。
細かい理屈抜きで空を飛ぶことが藤子F不二雄にとって童心の象徴なのだとしたら、重厚な機械なしには空を飛べないこれらの短編は、文字どおり地に足を付けた作品群なのでしょう。
そうそう、オバQといえば、この「ミノタウロスの皿」にはオバQと大人になった主人公たちが出てくる「劇画・オバQ」が収録されています。
そのラストは、ちょうどオバQが空を飛んでいく場面で終わるのですが、その結末の侘しいこと…
ざっとした感想は以上です。
もし急に読書会を再開することになったのに内容を忘れてしまっていても、取り急ぎこの記事を見ればなんとか喋れるな(笑)